バンコク在住の会社員のサッカーコラム第5弾は、「タイサッカーの歴史と発展」についてです。
タイ・プレミアリーグ(タイのサッカー国内リーグ)の発足前から現在までの流れを解説します。
タイ・プレミアリーグ(タイのサッカー国内リーグ)の発足前から現在までの流れを解説します。
タイプレミアリーグ発足前から、タイでのサッカー人気というのは絶大なものでしたが、タイ人はタイの国内リーグへの関心は大変薄く、サッカーと言えば英国プレミアリーグのみでした。
しかし極めて稀に、タイの年代別代表やクラブチームが話題になることがありました。その代表格が、当時アジアで旋風を巻き起こしたタイファーマーズバンクFCで、現在のACL(AFCチャンピオンズリーグ)の前身である「アジアクラブ選手権」に東南アジアのクラブとして初めて優勝、そして1994と95年には、同大会史上初の連覇を成し遂げます。
少なくともJリーグ発足当時は、日本とタイの実力差はあまり無く、チーム作り次第ではJのチームも歯が立たなかったようです。
しかし極めて稀に、タイの年代別代表やクラブチームが話題になることがありました。その代表格が、当時アジアで旋風を巻き起こしたタイファーマーズバンクFCで、現在のACL(AFCチャンピオンズリーグ)の前身である「アジアクラブ選手権」に東南アジアのクラブとして初めて優勝、そして1994と95年には、同大会史上初の連覇を成し遂げます。
少なくともJリーグ発足当時は、日本とタイの実力差はあまり無く、チーム作り次第ではJのチームも歯が立たなかったようです。
ある富豪によって強化が図られた先導したタイユース代表
この頃、後のタイサッカー界に強く影響を与えるあるタイ人が動きます。その人物は「ビッグホイ」ことタワチャイ・サジャクン氏(Thawatchai Sajakul)という富豪で政治家という肩書きを持つ人物、彼は私財を投じて才能ある若手を破格の報酬で集めて強化を図りタイの歴史上最強のユース代表を作り上げます。(”破格”とは言え、私が雑誌で見た記憶では15万円ほどですが、当時の10代のタイ人にとっては、大変な金額です)
実際、東南アジアでの地区予選では抜群の成績をあげ、タイ国内ではドリームチームと呼ばれました。しかし、日本と互角以上の戦いを期待されたものの、タイで行われたホームでは0-5と完敗でした。
タイにとって不幸だったのは、日本のU -23代表もまた前園真聖、城彰二、松田直樹、川口能活など、2002年のW 杯中心メンバーらによるアジア最強の布陣を揃えていたことです。(本大会で日本は、ブラジル代表を破っています。)
その後タイのサッカーは伸び悩みます。
ワールドカップアジア予選やAFCアジアカップでは、東アジアや中東のチームの後塵を拝しており、なぜかアジア競技大会ではある程度までは勝ちあがってくるのですが、2002年と2010年には日本という壁が立ちはだかり、ベスト4が最高成績で、東南アジアサッカー選手権でも2002年を最後に優勝から遠ざかっています。
ワールドカップアジア予選やAFCアジアカップでは、東アジアや中東のチームの後塵を拝しており、なぜかアジア競技大会ではある程度までは勝ちあがってくるのですが、2002年と2010年には日本という壁が立ちはだかり、ベスト4が最高成績で、東南アジアサッカー選手権でも2002年を最後に優勝から遠ざかっています。
タイ・プレミアリーグ発足~有力クラブの台頭
一方、タイプレミアリーグは1996年に発足したものの、Jリーグのような大きな成功を収めることもなく観客動員数は伸び悩み、選手やコーチの地位もあまり高いとは言えませんでした。
しかし、2002年を境に古豪のBEC TEROサーサナが、アジアチャンピオンズリーグで準優勝すると、チョンブリ県で絶大な人気を誇るチョンブリFCや、ブリーラムユナイテッドの前身である地方電力公社(PEA)、また、ムアントンユナイテッドなどが豊富な資金力をバックにビッククラブへの道を歩み始めます。
ACL(AFCチャンピオンズリーグ)ではチョンブリFCが、ガンバ大阪と接戦を演じるなど徐々に力をつけて行きました。
ブーリラムUは、タイ代表選手を多くを獲得、海外から有望なアフリカ人選手やスタッフを集めることによって、2011年はタイ国内3冠、2013年には4冠、そして、リーグ無敗優勝を飾るなどしました。
さらにブリーラムUは、Jリーグ王者である柏レイソル(日本)にホームで勝ち、アジアでも突出した資金と実力を誇る広州広大(中国)にアウェイで勝つなど、日本を含めそれまで明らかな格下扱いだったタイ国内クラブチームが、侮れないチームという印象を与えることになります。
しかし、2002年を境に古豪のBEC TEROサーサナが、アジアチャンピオンズリーグで準優勝すると、チョンブリ県で絶大な人気を誇るチョンブリFCや、ブリーラムユナイテッドの前身である地方電力公社(PEA)、また、ムアントンユナイテッドなどが豊富な資金力をバックにビッククラブへの道を歩み始めます。
ACL(AFCチャンピオンズリーグ)ではチョンブリFCが、ガンバ大阪と接戦を演じるなど徐々に力をつけて行きました。
ネーウィン氏率いるブーリラムユナイテッドの登場
そして、特に注目すべきは、ブリーラム県の実力者で元副農相であるネーウィン・チットチョープ氏が、ムアントンユナイテッドに対抗する形で、PEAを買収して、本拠地をブリーラムに移転して組織したブーリラムユナイテッド(以下、ブーリラムU)です。ブーリラムUは、タイ代表選手を多くを獲得、海外から有望なアフリカ人選手やスタッフを集めることによって、2011年はタイ国内3冠、2013年には4冠、そして、リーグ無敗優勝を飾るなどしました。
さらにブリーラムUは、Jリーグ王者である柏レイソル(日本)にホームで勝ち、アジアでも突出した資金と実力を誇る広州広大(中国)にアウェイで勝つなど、日本を含めそれまで明らかな格下扱いだったタイ国内クラブチームが、侮れないチームという印象を与えることになります。
資金面、ハード面でも充実し、観客を呼べるリーグへ
そして、リーグやチームはメディアやスポンサーを巻き込んで観客を徐々に増やすことに成功し、もともとASEAN諸国の中でも比較的充実したスタジアムやその数を誇っていたハードの面でも、SCGスタジアムやLEO スタジアムなどの欧州を模倣したサッカー専用スタジアムが建設されました。
中でも、ブリーラムの本拠地ニューアイモバイルスタジアムは、日本人が観ても溜息が出るような立派なスタジアムです。
中でも、ブリーラムの本拠地ニューアイモバイルスタジアムは、日本人が観ても溜息が出るような立派なスタジアムです。
実際には様々課題はあるものの、関係者の地道な努力と後先考えないタイ人の思い切った勘違いなどもあり、タイのサッカーは発展を遂げたことが、現在の日本人60人以上という世界でも例が無いような流入を生んだわけです。
事実、上記のBEC TEROサーサナが活躍した次の年には、最初の日本人プレーヤーが誕生しています。
事実、上記のBEC TEROサーサナが活躍した次の年には、最初の日本人プレーヤーが誕生しています。
次回は、タイリーグ黎明期を支えた日本人プレーヤーについて書きたいと思います。
ブリーラムユナイテッド・新チャント 2012年3月 (大音量注意!)
本日のおまけ動画
今回の動画は、日本でも病みつきになる人が続出したブリーラムユナイテッドのチャントです。ブリーラムユナイテッド・新チャント 2012年3月 (大音量注意!)
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