私が駐在員として赴任した2005年当時、まだ日本人がプレーしているという情報は知りませんでした。
2006年ドイツワールドカップアジア最終予選において、日本と同組の北朝鮮のホームで行われたイラン戦で、審判の判定に不満を持った北朝鮮の観客がピッチに物を投げ込み、イランの選手が乗ったバスを取り囲み脅迫するという暴挙に出たためFIFA(国際サッカー連盟)は、北朝鮮に対して罰金と北朝鮮国内での開催権を没収して、第3国(中立国)での無観客試合とする制裁を決めます。
その恩恵を受けたのは、当事者のイランではなく、次の対戦相手である日本でした。2005年6月8日に平壌で開かれる予定であった北朝鮮ホームの試合が第3国であるタイ・バンコク(スパチャラサイ国立競技場)で、無観客試合行うことになりました。
私が観戦した対北朝鮮・無観客試合@バンコク
何かと不安のある北朝鮮ではなくタイでの試合となった対北朝鮮戦で日本は勝利し、ワールドカップ本大会への出場を世界で一番早く決めることになりました。
実は、その無観客試合になんと私は、運良く取材する立場で観戦することが出来ました。
この試合は、私がタイで最初にサッカーと関わった出来事でしたが、過去のオリンピック予選やW 杯を除けば1994年2月5日にACL(AFCチャンピオンズリーグ)の前身であるアジアクラブ選手権で、Jリーグからヴェルディ川崎が、当時アジア最強と言われたタイファーマーズバンク(現在のカシコーン銀行)FCと対戦して、1-1からP K戦で敗れています。(記録は引き分け)
※タイファーマーズバンクについては、いずれ記事で詳しく書きます。
その頃のヴェルディと言えば、カズ(三浦知良)やラモス瑠偉、北澤豪、柱谷哲二、武修宏を擁し、国内では最強の名をほしいままにしていたのですが、まだプロ化されていないタイ王者はそのヴェルディでさえ敵わないほどの強さだったというのは間違いないようです。
※タイファーマーズバンクについては、いずれ記事で詳しく書きます。
黄金時代のヴェルディも敵わなかったタイのクラブチーム
実は、その後2回に渡って95年1月、95年12月にも、ヴェルディはタイファーマーズバンクFCと同選手権で同グループになり、直接対決では2-1、0-0という成績ながら得失点差で敗退するという事態に陥っているわけです。その頃のヴェルディと言えば、カズ(三浦知良)やラモス瑠偉、北澤豪、柱谷哲二、武修宏を擁し、国内では最強の名をほしいままにしていたのですが、まだプロ化されていないタイ王者はそのヴェルディでさえ敵わないほどの強さだったというのは間違いないようです。
その後1999年には、同選手権で当時黄金時代を迎えていたジュビロ磐田が、Jのチームとしては初めて優勝しますが、同大会でBEC TEROサーサナはジュビロとは戦ってはおらず、タイのチームに大会を通して勝ったのは2000年でジュビロ磐田がチュラーシンタナFCをグループリーグで退けたのが初めてということになります。
つまり2000年までは結果だけを見るとタイのチームの方が上回っていたと言えるかもしれません。
つまり2000年までは結果だけを見るとタイのチームの方が上回っていたと言えるかもしれません。
以上、タイフットボールチャンネルによるサッカーコラム第4弾「私のタイでのサッカーとの関わり」でした。
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