2014年7月31日木曜日

制裁金は約70万円!判定に怒ったサポーターが審判に猛抗議3時間

バンコク在住の会社員による観戦レポートです。

今回は、シン・タールアFC×チャイナートFCの試合で起こった事件(2014年 第25節)について書きます。
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この事件は、TPL(タイプレミアリーグ)の第25節、シン・タールアFC対チャイナートFCの試合中に起こりました。

1- 1で迎えた後半79分、チャイナートの攻撃で左サイドからタナコーン(Thanakorn)選手がゴール前に上げようとしたボールに対し、タールア29番チャッカポン(Jakkapong)選手がペナルティエリア内でブロックしました。

このプレーがきっかけで、シン・タールアのサポーターらが激怒することになるのですが、まずは、動画にて、試合の様子をご確認ください。

サポーターの暴動を招いたプレーを動画で確認

自陣ゴールを向きながらブロック、一瞬のプレーなので動画では判りにくいのですが、胸でブロックしたようにも手に当たったようにも見えました。

問題の場面は、3分45秒くらいです。

審判はチャッカポン(Jakkapong)選手の背中を見る形で位置しており、ブロックした彼の前面は見えないポジションです。

このプレーに対して審判は、ハンドと判定、ペナルティエリア内のためチャイナートにPKが与えられます。(この時サポーターからは想像を絶する口汚い言葉が浴びせられたのは想像に難くありません)

シン・タールアの選手は猛抗議しますが認められず、チャイナートの選手がPKを決め、結果的にこれが決勝点となりました。

シン・タールアのサポーターが暴走

試合後、判定に納得のいかないシン・タールアのサポーターがピッチになだれ込み、メインスタンド裏も占拠して審判に対して恫喝しました。

タイのニュース報道によると、23時近くまで続けたということですから、試合終了(20時)から3時間も包囲して講義を行い、審判らを脅したということになります。

シン・タールアに対し制裁金22万バーツ

この事件を重く見たタイプレミアリーグ規律委員会は7月29日、シン・タールアFCに対し制裁として、下記のような裁定を下しました。

1. 審判に対し水をかけたこと、暴言や下品な言葉(制裁金3万バーツ)
2. ピッチにペットボトルなどを投げ込んだこと(制裁金6万バーツ)
3.チームの警備体制の不備(制裁金5万バーツ)
4.ピッチに観客を進入させたこと(制裁金5万バーツ) 
5.審判の部屋を取り囲んだこと(制裁金3万バーツ)

さらに上記の制裁金に加え、次節のTOT戦(8月3日)について、ホームでの開催権を剥奪し、チームが費用を負担して中立地での試合を行いタールアのサポーターは入場させないこととしています。

TPL規律委員会の裁定、少し甘いのでは?

この裁定に対して私は少し甘いのではないかと思いました。

その理由は、シン・タールアのサポーターは過去に何度も、同様の事件を起こしているからです。それも今回より酷いものもあります。(ちなみにgoogle翻訳で「ท่าเรือ นักเลง」(タールア乱暴)と打ち込むと日本語で「やくざ」と翻訳されます。)


対ムアントン・ユナイテッド戦(2010年)
2010年には、当時財前宣之選手が在籍して頃のムアントン・ユナイテッドとの試合で、判定と負けたことに対する腹いせにピッチに花火を打ち込み、発炎筒を投げ入れ、挙句の果てには、ムアントンサポーターや警備員と殴り合いを始め、それでも収まらなかったのかムアントンの巨大Tシャツ型フラッグを破ってさらに何人もの怪我人を出すという暴挙に出ています。

この際には、タイプレミアリーグから罰金+4試合のホームゲームの没収でした。あれだけの事件を起こしたにも関わらずたった4試合でした。

対サムットソンクラーム戦(2012年)
さらに2012年9月には、ホームでのサムットソンクラーム戦において、今回と同じく1-2で負けたのですが、微妙なチャージによるファールでPKを相手に与えられたことと、これまた微妙なオフサイドの判定でゴールされたことに対し、ピッチになだれ込んで審判の控え室を取り囲み、帰路を妨げるなどしました。あるサポーターによると審判の部屋にバイクで突入しようとしたりもしたようです。

この騒ぎでタノム・ボリクット(Thanom Borikut)主審は事態を収拾するため、サポーターの前で引退宣言をしたそうです。(しかし、実際には引退しなかったため翌年彼は大変な目に会います。※1)

この時の罰則は、制裁金数万バーツに1試合のホームゲームにおけるバックスタンドとゴール裏すべての入場禁止でした。(アウェイのチェンライユナイテッドのサポーターに対しては入場が許可されました。)

※1
実は、上記のタノム・ボリクット(Thanom Borikut)審判は、以前から「黒い噂」が絶えない人物で、2013年9月4日、何者かに銃で何発か撃たれ、重症を負っています。(サッカーのタイプレミアリーグ、審判員が撃たれ重傷

タノム氏を一度スタジアムで見かけたことがあるのですが、収入がさほど良いとは言えない審判という職業にも関わらず、ベンツに乗っておられました。各方面での副収入がよほどあるのかも知れません。

主審が下したジャッジは”絶対”

サッカーの試合において審判は絶対であり、例えそれがあきらかにおかしいものであっても、その場で主審が下したジャッジは最終判断であり、間違った判断も含めてそれもサッカーのうちであるという意見もあるくらいです。

もちろん、納得いかない場合はチームが意見書などをリーグに出すことはありますが、マッチコミッショナーはそれに対して意見をすることが禁止されていますし、判定が覆ることはありません。当然議論はすべきかもしれませんが、結果が変わることは無いのです。

ましてや判定が不服だからとサポーターが審判を恫喝するなど絶対に許されませんし、それによって判定が変わるのであれば暴れれば望む判定になると、さらにエスカレートする可能性もあります。

こうなると正しいプロスポーツとは言えません。

今回の問題点まとめ(総括)

最後に今回の問題は何だったのでしょうか?

1.主審がよく見えない位置におり、見えていなかった。(副審は反対側のサイドいたため確認できず)
2.チームが警備体制を整えることが出来ていなかった。(おそらくチームも積極的にサポーターをコントロールしなかった)
3.度重なるトラブルがあり、チームに不利益があると知っているにも関わらずサポーターが問題行動を取った。

関係者はきちんと対策を取らず今後もサポーターの暴走を許すのであれば、チームが消滅するかもしれません。
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制裁金 タイポートFC 暴動 サポーター

2014年7月28日月曜日

茂庭照幸選手、大久保剛志選手が出場!バンコクグラス vs エアフォース戦 観戦レポート(2014年・第25節)

バンコク在住の会社員によるタイ・プレミアリーグの観戦レポートです。

今回はタイプレミアリーグ(TPL)18位のエアフォースセントラルFCと、バンコクグラスFCの試合(2014年7月23日、第25節)です。



前節もエアフォースの試合を観戦したのですが、今回の対戦相手であるバンコクグラスには、昨年までセレッソ大阪に在籍していた元日本代表の茂庭照幸選手と、ベガルタ仙台やソニー仙台でプレーした大久保剛志選手が在籍するチームということで観戦して来ました。

バンコクグラスFCとは・・・歴史、スタジアムなど。

バンコクグラスは、タイの大手飲料容器ケースやプラスチック製品を製造するバンコクグラスカンパニー(BANGKOK GLASS COMPANY)が出資するバンコクFCスポーツが運営するチームで、直接的な創立は 2006年と、他のTP Lのチームに比べかなり新しいクラブです。


当初は下部のリーグに所属していたのですが、1977年創設され2009年当時すでにTPLに所属、タイサッカーの歴史に一時代を築いたクルンタイ銀行FC(Krung Thai Bank FC)を買収し、そのままTPLに昇格することになりました。

そして、その年に90年代を代表する選手としてタイでは伝説となったスラチャイ・ジャトゥラパッタラポン氏(Surachai Jaturapattarapong)を監督に迎え、タイ・スーパーカップ優勝、2010年にはクィーンズカップとシンガポールカップにも優勝しています。

※スラチャイ氏は選手時代、タイファーマーズ銀行FCなどで活躍しました。

2013年にはその前年までブリーラム・ユナイテッドで指揮を執り、数々のタイトルを独占したアタポン・ブスパコム氏(Attaphol Buspakom)が監督に就任しますが、今年6月にはチームの不振の責任を取る形で辞任し、元タイ代表のストライカーでチェンライユナイテッド監督であったアヌラック・スリカード氏(Anurak Srikerd)が就任したました。

バンコクグラスのホームスタジアムは、バンコクではなく隣県のパトゥムタニ県にあるLEO スタジアムで、タイでは珍しい人工芝を使用しており、スタンドはホームゴール裏を極端に高く設計した非常にユニークなデザインのサッカー専用スタジアムです。

前半(茂庭選手、大久保選手ともに、先発出場)

この日、試合前にはかなりの豪雨に見舞われたのですが、キックオフ直前から雨は上がり、スタジアムの向こう側にはきれいな虹がかかり、旧国際空港であるドンムアン空港に向かう飛行機が上を飛び交います。


そして18:00キックオフ、両チームとも最終ラインは4バックで試合をスタート。

前半途中までは特に決定的な場面は見られず、大久保選手は左サイドに展開、敵がまったくいないサイドで張っていてもなぜかパスは来ない、スペースの無い右サイドばかりでボールを廻しています。

一方の茂庭選手は、ディフェンダー(DF)の選手が前に出て行っても最終ラインで冷静に対処し、相手の攻撃陣の目を摘んでいきます。


そんな中、30分に均 衡が崩れます。

前半30分、34番DFのピヤチャノック(Piyachanok)選手が、右コーナーキック(CK)の混戦から右足でゴール、さらにその3分後には、昨年FC岐阜でプレーしていたバージェ・イリオスキ(Blaže Ilijoski/マケドニア)選手がG Kの位置を見極めたループ気味の技ありゴールで立て続けに得点を挙げ、今日は一方的な試合になるかと思われました。

しかし、前半終了間際にエアフォースの5番DFのサラウット(Sarawut)選手が左サイドコーナーキックの折り返しを右足で決め1- 2となります。

バンコクグラスは、密集したエリアでパスを繋ごうとするのですが、サイドチェンジを試みない無理に仕掛けはもちろんうまくいかず、前半終了。

後半(早々に同点にされるも、バンコクグラス勝利)

後半早々、不用意なファールによるフリーキックからゴール前に詰めていたエアフォースのアフリカンの選手にヘディングで決められてしまいます。(この選手、確か他のチームに居たような気がするのですが、名前が分らないため定かではありません。)

そして大久保選手は、後半も左サイドでボールを待ちますが、やはり右サイドに展開する場面が多く、前を向いてボールを持つチャンスがなく、少し後退してボールを受ける場面が何度かありました。


試合はそのまま時間が過ぎタイムアップになるかと思われた後半86分、まさに終了ぎりぎりにゴール前でうまくパスを繋いで、最後は17番MFのスパチャイ(Supachai Komsilp)選手がペナルティエリアの外側から右足でゴール!!

さらにバンコクグラスは攻撃を仕掛けますが終了のホィッスル。何とか勝利をものにしたバンコクグラスですが、楽しみにしていた大久保選手の見せ場が少なかったのは残念です。

この試合で目立っていたのは、バンコクグラス39番MFのタナシット(Thanasit)選手で、、勝ち越し点をあげた場面で、中央からドリブルで切り込み得点のチャンスを作った現在ユース代表の選手のようですが、何度もチャンスを作り、自ら決定的な場面でシュートを放つなど良い動きをしていました。今後も目が話せないプレーヤーです。

バンコクグラスの試合を観る楽しみがまた一つ増えました。

この日、首位ムアントンユナイテッドのホームで4位BEC TEROサーサナの試合があり、BEC TERO が1-0で勝利したという速報が入り、この試合結果によりブリーラムが得失点差で首位に、また上位 4チームが勝ち点 2差で並ぶというこの時期にしては近年にない大混戦という状況です。

上位2チームに日本人がいないのは面白くありませんが、しばらくこの状態が続けばTP Lはさらに盛り上がることでしょう。

動画(1点目の得点に大喜びするエアフォース・セントラルのサポーター



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茂庭照幸 大久保剛志 バンコクグラス エアフォースFC

2014年7月25日金曜日

岩政大樹選手も下地奨選手も揃って欠場・・・BEC TERO vs エアフォース戦 観戦レポート(2014年・第24節)

バンコク在住の会社員によるタイ・サッカープレミアリーグの観戦レポートです。

今回はタイプレミアリーグ(TPL)3位のBEC TEROサーサナFC(以下BEC TERO)と、18位のエアフォースセントラルFCの試合(2014年7月20日、第24節)です。

(BEC TEROサーサナ側の応援スタンドには、日の丸も)

普段なら簡単なチーム紹介をさせて頂くのですが、この2チームは語ることが結構あるため、別途機会を設けて詳しく説明させて頂くことにしますので、今回は割愛します。あえてひとつだけ説明するとすれば、「BEC TERO」 は、”ベック・テロ”ではなく、”ビー・イー・シー・テロー”と読んでくださいということでしょうか。

今回、この試合を選んだのは、皆様ご存知の通り、BEC TERO には、下地奨選手岩政大樹選手が所属しているからです。

まさかの・・・岩政選手と下地選手が揃って欠場。

しかし、岩政選手は累積警告(スタッフの話ではイエロー4枚?3枚ではなく)で出場停止、また、下地選手もベンチに入っておらず、BEC TEROの日本人選手2名は欠場でした。

一方のエアフォースにも日本人選手がいないため、試合が始まる前から私の興味も薄れてしまいました。

日本人選手が不在の試合ですが・・・

BEC TEROサーサナのサポーター

試合は、エアフォースが最終ラインを分厚くして常に4-5人の選手がゴール前をがっちり固めており、BEC TERO は中盤をあまり作らず、長い縦パスや中盤からゴール前にボールを放り込んで、17番でアフリカンのギルバートや、10番でモンテネグロのラドミール・ジャドウィックがそれを追うのですが、フォローが殆どなく決め手に欠くという展開が続きます。


(写真(赤いユニフォーム):ギルバート選手/BEC TEROサーサナ所属)

BEC TEROには、今年Jの清水エスパルスの練習に参加したチャナティップ選手(Chanathip Songkrasin)という若いエース級のタイ人選手がおり、決定機を作ることの出来る選手でもあるのですが、彼にボールがまったく渡らず、受けに行ってもうまくパスが繋がっていかなかったためか、結局チャナティップ選手は途中交代することになります。


(写真:チャナティップ・ソンクラシン選手/BEC TEROサーサナ所属)

一方のエアフォースは、どこかの国の基本国防戦略のごとく専守防衛に徹して、攻撃といえばたまにカウンターで相手ゴールに向かいはするのですが、攻撃にかける余裕がないため、こちらも決定機をほとんど作れないという有様。

ただでさえ日本人がいない試合で応援をするほど思い入れもできず、ただ時間が経っていくという状態でした。

GKの下手な演技と、ベンチの野次にイエロカードなど。

おまけに、エアフォースのGKがゴール前で混戦があるたびに、審判へのアピールのために痛がる振りを、それも素人でもわかるような大げさなジェスチャーで繰り返すというつまらない試合が続きます。



さらに片方のベンチから審判に向かって汚い野次が飛ばされたため、ベンチにいた1人のチームスタッフにイエローカードが出されたり、激しいチャージで選手同士が揉みあいを起こすなど、試合とは関係のないところで小さな盛り上がりがあるのみでした。

結局、BEC TEROは、ゴール前まではボールを持ち込むものの最後の一発を放てるような駒がないため、そのままホイッスルで試合終了です。


試合後、下地奨選手と。

試合後、下地選手を見つけ写真を撮らせてもらいました。

(写真:下地奨選手/BEC TEROサーサナ所属)

この試合に引き分けたことで、BEC TERO は3位から4位に転落し、チョンブリFCが3位浮上しました。

本当に内容がつまらなく退屈な試合でした。岩政選手と下地選手を欠いた影響で、極端に守備的にはならなかったとは言え、微妙に攻撃と守備とのバランスが悪く、相手の人数を掛けた守備を崩すことが出来なかったのでは無いでしょうか?

次回2人が揃う試合が楽しみです。

次はムアントン戦ですが、もしBEC TERO が勝てば、上位4チームが混戦になること間違いありません。

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下地奨 岩政大樹 BECTERO サーサナ エアフォース タイプレミア利オーグ

2014年7月22日火曜日

タイ国内プロリーグにおける日本人サッカー選手らの加入の歴史

バンコク在住の会社員のサッカーコラム、今回は、「タイのプロリーグにおける日本人」について、まとめて書きます。



前の記事(タイ・サッカーの歴史、タイ・プレミアリーグの発足と発展まで)でも書いたとおり、2000年代初頭タイファーマーズバンクFCやバンコクバンクFCが国内では無類の強さを誇り、やがてBEC TEROサーサナというその後タイプレミアリーグの中心的な存在をなすほぼプロ化されたチームが台頭して来て、2002年のACLで準優勝すると、タイにも日本人選手が登場します。

2002年にヴェルディ川崎で活躍した田中洋明選手が、タイでプロ選手となった最初の日本人選手だと思われます。(それ以前にも練習生や非プロ契約という選手がいたかもしれませんが、資料がありません)

田中洋明選手(ヴェルディ川崎→オーソットサパー)

私がタイに来る前の話なのですが、田中洋明選手は、タイのオーソットスパー(OSTSAPA FC)に加入し、タイでのデビューは2003年1月10日クルンタイ銀行との試合で、2月にはタイでの春季キャンプに来ていた横浜FCと対戦もしています。

また田中選手は、ゴールデンエイジと言われた小野伸二、高原直泰、稲本潤一らとは同世代で、1995年のFIFA U -17選手権の本大会に出場してゴールまで挙げています。

その後、田中選手は 2004年4月まで在籍しました。

相原豊選手(タイ・タバコ公社)、伊藤壇選手(オーソットサパー)

田中選手に続いて、タイの門を叩いたのは相原豊選手で、タイタバコ公社FC(TTM )で2003年から2シーズンをプレーしました。

また2004年には、オーソットサパー(OSTSPA)FCに、アジア中心にチーム移籍を続けて来た伊藤壇選手が加入します。

まだこの頃は、年に1人くらいの選手が新たにやってくる程度でしたが、次第にJ1で活躍した選手が次々とタイのチームと契約する時代を迎えます。

Jリーグで活躍した選手たちが、続々とタイリーグ移籍へ

2007年には、横浜マリノスでプレーした深澤仁博選手がバンコクユニバーシティFCに1年、2010年にはバンコク・ユナイテッドFCに1年在籍(現在はカンボジアリーグでプレー)しました。

2008年には、ガンバで松波選手と同期の木場昌雄選手が カスタムズ・デパートメントFCでプレーし、2010年にタイで現役生活を終えます。

2009年には横浜マリノスで井原選手とポジションを争った丸山良明選手が始めてディフェンダーとしてタイにやって来ます。

さらに同じ年、愛媛FCやシンガポールのチームでプレーした猿田浩得選手が、シーラチャーFCに移籍と続きます。その後、猿田選手はバンコクグラスFCに移籍して日本人としては初めてベストイレブンに選ばれました。

ジュビロに居た河村崇大選手がタイに来たのもこの年です。

こんな選手までタイに来るのか!財前宣之選手のタイ移籍

そんな中、私が一番驚いたのは、モンテディオ山形に居た財前宣之選手が、ムアントンユナイテッドと契約というニュースです。

財前と言えば、中田英寿や宮本恒靖、松田直樹と同世代で、93年U -17ワールドユースでは中田以上の存在感を発揮した有名な選手です。

「こんな選手までタイに来るのか?」と驚いたものです。

その事で、タイのリーグが話題になったのかどうはわかりませんが、その後、一気に日本人選手が20人以上に増えて現在に至るわけです。

毎年のように選手は増え続け、日本代表経験もある岩政大樹選手が鹿島からBEC TEROサーサナに、U -18からフル代表に至るまで継続して日本代表に名を連ねた茂庭照幸選手がセレッソ大阪からバンコクグラスFCに、オランダのVVVフェンロからはロバート・カレン選手が破格の契約で移籍したことなどが、タイでも大きなニュースとして扱われました。



こうした日本人選手らの移籍が、アジアにおけるタイリーグのステータスを上げていると言ってもいいでしょう。

その他にもジュビロで活躍した西紀寛選手はポリスユナイテッドに、名古屋グランパスでACL出場経験もある杉本恵太選手はチェンライユナイテッドに、それぞれ移籍するなど、タイのリーグでプレーするJリーグ経験者が増えており、日本のサッカーの良さをタイで広めてくれています。

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2014年7月21日月曜日

杉本恵太選手が先制弾!サムットソンクラーム vsチェンライユナイテッド戦 観戦レポート(2014年・第23節)

バンコク在住の会社員によるタイ・サッカープレミアリーグの観戦レポート第2弾です。

今回は、タイプレミアリーグ(1部)20位サムットソンクラームFCと5位チェンライユナイテッドの試合(2014年7月12日、第23節)です。



サムットソンクラームFCは、サムットソンクラーム市に本拠地にして、同市の市長がオーナーを務めるチームです。

現在スタジアムを改修中のため、ホームゲームを本拠地以外の様々なスタジアムで行っており、この試合はバンコクから車で2時間程度の地方都市ラチャーブリで行われました。

同FCは、2004年創設されディビジョン1(2部リーグ)から2007年タイプレミアリーグに昇格し、7位が過去最高位で、象のマークでおなじみのチャンビール(CHANG)とGSEストアがメインスポンサーについています。

サムットソンクラムFCには、4名の日本人選手がいた。

サムットソンクラームFCには、最近まで4人の選手(1名は最終的に契約に至らず)がいました。

しかし、DF鈴木伸貴選手はピサヌローク TSY(PH ITSANULOK TSY)FC、FW 田原豊選手はチェンマイ(CHIA NGMAI)FC、GKノグチピント・エリキソン選手はアユタヤー(AYUTTHAYA)FC に、それぞれ移籍しました。

このため、現在はMF加藤友介選手だけになってしまいました。

チェンライユナイテッドのGMは、日本人!

対するチェンライユナイテッドは、TP L(タイプレミアリーグ)でも若いチームで、タイで唯一日本人ゼネラルマネージャーを採用しているというユニークなチームです。


現在ムアントンユナイテッド、BEC TEROサーサナ、ブリーラムユナイテッド、チョンブリFCなどのビッグ4(KJが勝手に名付けたタイのビッグクラブ)に告ぐ5位と健闘しているチームです。

* チェンライユナイテッドについては後日改めて詳しく紹介いたします。

前半(チェンライU杉本恵太選手が、先制ゴール!)

試合は、ホームが無い状態のチーム故の問題か、観客は1,000人に満たないもので、とてもタイトップリーグの試合とは思えませんが、開始直後からチェンライユナイテッドは効果的にパスを繋ぎ攻めあがって行きます。

日本人の先発は杉本選手一人のみ。


杉本恵太選手は、以前名古屋グランパスに在籍、俊足と鋭いドリブルが持ち味のストライカーで前線から最終ラインまでよく走ります。

そして25分、左サイドでパスを受けた杉本選手が迷わず右足で鋭いシュートを放ちゴール、その後も仕掛けるサイドを左→右→左と状況に応じて替えて攻撃に変化を与えています。


このチームには他にも、DF村上一樹選手がいるのですが、今回ベンチ入りはしておらず、代わりに2010年に同チームでプレー経験があり、今年からディビジョン2(3部)のタイ・ホンダ(THAI HONDA)に加入した小川圭祐がレンタル移籍で戻って来ていました。

チェンライUには、タイ人では珍しい長身187センチのKiatpraw ut S aiw aeo選手(マンチェスターシティでもプレー経験あり)を中心に、自陣ペナルティエリア付近での自由な攻撃をさせません。

後半(チェンライUが小川圭祐選手を投入するも、同点)

後半に入り、今度はサムットソンクラームが右サイドでのDFの乱れを突き、ゴール前にあげたボールをアフリカンのSamuel Ajayi選手がヘッドで決め、同点となります。

その後ゲームは大きな動きがなく、単発的に良い位置からのFKやミドルシュートをうちますが得点には至りません。

後半30分過ぎには、引き分けをよしとしないチェンライUが、小川圭祐選手を投入し流れを変えようとしますがゴールは奪えず、そのまま1-1で試合終了。

加藤選手は今回出場することは無く一番の目的であった彼のプレーが観られなかったのは残念です。

杉本恵太選手のゴール動画(1分45秒くらい)



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2014年7月18日金曜日

タイリーグ所属の日本人サッカー選手選抜 対U-23タイ代表戦 観戦レポート

今回は、「U -23タイ代表 vs TPL日本人選手選抜(Japanese All Stars)」です。

タイでプレーする日本人選手


7月16日、バンコクのラチャマンガラスタジアムにおいて、U -23タイ代表が9月に韓国で行われるアジア大会に向け、タイリーグ日本人選抜チームと強化試合を行いました。

日本人選抜は、チョンブリーFCを指揮する和田昌裕氏が監督として指揮を取り、今回選ばれた選手は下記の通りです。

TPL日本人選抜(Japanese All Stars)チーム

櫛田 一斗    チョンブリーFC
馬場 悠企    チョンブリーFC
茂庭 照幸    バンコク・グラスFC
大久保 剛志  バンコク・グラスFC
船山 祐二    アーミー・ユナイテッド
加藤 友介   サムットソンクラームFC
西 紀寛   ポリス・ユナイテッド
カレン・ロバート  スパンブリーFC
片野 寛理  オーソットサパーM 150サラブリー
猿田 浩得  シンタールアFC
東風 淳   パタヤ・ユナイテッド (ディビジョン1)
宮澤 勇樹  シーラチャー・バーンブンFC(ディビジョン1)
黒部 光昭  TTM カスタムズFC(ディビジョン1)
佐藤 祐介  プーケットFC(ディビジョン1)
小島 聖矢  アユタヤFC(ディビジョン1)
弦巻 拳東  アユタヤFC(ディビジョン1)
高橋 延仁  アントーンFC(ディビジョン1)
金古 聖司  アントーンFC(ディビジョン1)

先制された直後、猿田選手が同点弾、前半1-1

試合は、途中雨も降りましたがピッチコンディションはまずまずで、シーズンの最中にも関わらず、日本選抜は元気に走り廻ります。

先制したのは、タイU-23代表で、22分左サイドからドリブルでペナルティエリア手前に持ち込んだ選手に気を取られ、中央に居たポッカオ(Pokkhao)選手へのパスに対処できず、素早いミドルをゴール右に決められます。キーパーはまったく動けませんでした。

28分には日本が反撃。パスを繋ぎながら前線にボールを運び、加藤選手からダイレクトに猿田選手へパスを出し、二人の選手がマークに入りますが、その股を抜いてGKが守る狭いサイドに見事なゴールを決めました。

この試合、小柄な猿田選手は結構はげしいマークに何度も倒されますが、さすがタイの現役選手の中でもおそらく最も長くプレーしているだけあって決めるところは決めてくれます。

日本人選抜は普段と違いすべて日本語で指示を出せるため、選手もやりやすそうに見えます。またこれも日本人同士だからどうかわかりませんが長くきれいなパスを何度もつなげてチャンスを作りますが、前半は1-1のまま終了。

U-23タイ代表にリードされるも、馬場・黒部の連続弾で勝利。

後半に入ってしばらく膠着状態が続きますが、66分右サイドでボールを受けたチャダーロン(Chadaaron)選手が、1人でペナルティエリアまで持ち込み、最終ラインで上手くパス交換をして最後はG Kの東風選手を交わしてゴール、2-1と再びU-23タイ代表がリードします。

80分には中央でボールを持ったカレン・ロバート選手が、ペナルティエリア手前までドリブルで仕掛けて右サイドの馬場選手にパス、右足で切り替えして左足でシュートしたボールはGKの手をはじいてゴール右上に吸い込まれました。2‐2。
二点目を決めた馬場選手

そして今度はその1分後、船山選手が蹴ったコーナーキック(CK)を、ゴール前に居た黒部選手がヘッド決めて3点目。結果2-3で日本人選抜の勝利で終了。

三点目を決めた黒部選手(写真奥)と、片山選手

できればタイのU -23あたりは5-0で沈めて欲しかったのですが、シーズン中ということもあり、あまり無理も出来なかったのでしょう。個人的にはベテラン選手を中心にいい試合が観られたと思います。

最後に残念だったのは、日本人の観客が少なかったこと。情報発信をしているにも関わらず伝え切れない責任を感じており、これからもバンコクの媒体と協力して、タイでこんなに素晴らしい試合が観られることを広めて行きたいと思います。


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2014年7月14日月曜日

5分で分かるタイ・サッカーの歴史、タイ・プレミアリーグの発足と発展まで

バンコク在住の会社員のサッカーコラム第5弾は、「タイサッカーの歴史と発展」についてです。

タイ・プレミアリーグ(タイのサッカー国内リーグ)の発足前から現在までの流れを解説します。



タイプレミアリーグ発足前から、タイでのサッカー人気というのは絶大なものでしたが、タイ人はタイの国内リーグへの関心は大変薄く、サッカーと言えば英国プレミアリーグのみでした。

しかし極めて稀に、タイの年代別代表やクラブチームが話題になることがありました。その代表格が、当時アジアで旋風を巻き起こしたタイファーマーズバンクFCで、現在のACL(AFCチャンピオンズリーグ)の前身である「アジアクラブ選手権」に東南アジアのクラブとして初めて優勝、そして1994と95年には、同大会史上初の連覇を成し遂げます。

少なくともJリーグ発足当時は、日本とタイの実力差はあまり無く、チーム作り次第ではJのチームも歯が立たなかったようです。

ある富豪によって強化が図られた先導したタイユース代表

この頃、後のタイサッカー界に強く影響を与えるあるタイ人が動きます。その人物は「ビッグホイ」ことタワチャイ・サジャクン氏(Thawatchai Sajakul)という富豪で政治家という肩書きを持つ人物、彼は私財を投じて才能ある若手を破格の報酬で集めて強化を図りタイの歴史上最強のユース代表を作り上げます。(”破格”とは言え、私が雑誌で見た記憶では15万円ほどですが、当時の10代のタイ人にとっては、大変な金額です)

実際、東南アジアでの地区予選では抜群の成績をあげ、タイ国内ではドリームチームと呼ばれました。しかし、日本と互角以上の戦いを期待されたものの、タイで行われたホームでは0-5と完敗でした。

タイにとって不幸だったのは、日本のU -23代表もまた前園真聖、城彰二、松田直樹、川口能活など、2002年のW 杯中心メンバーらによるアジア最強の布陣を揃えていたことです。(本大会で日本は、ブラジル代表を破っています。)

その後タイのサッカーは伸び悩みます。

ワールドカップアジア予選やAFCアジアカップでは、東アジアや中東のチームの後塵を拝しており、なぜかアジア競技大会ではある程度までは勝ちあがってくるのですが、2002年と2010年には日本という壁が立ちはだかり、ベスト4が最高成績で、東南アジアサッカー選手権でも2002年を最後に優勝から遠ざかっています。

タイ・プレミアリーグ発足~有力クラブの台頭

一方、タイプレミアリーグは1996年に発足したものの、Jリーグのような大きな成功を収めることもなく観客動員数は伸び悩み、選手やコーチの地位もあまり高いとは言えませんでした。

しかし、2002年を境に古豪のBEC  TEROサーサナが、アジアチャンピオンズリーグで準優勝すると、チョンブリ県で絶大な人気を誇るチョンブリFCや、ブリーラムユナイテッドの前身である地方電力公社(PEA)、また、ムアントンユナイテッドなどが豊富な資金力をバックにビッククラブへの道を歩み始めます。

ACL(AFCチャンピオンズリーグ)ではチョンブリFCが、ガンバ大阪と接戦を演じるなど徐々に力をつけて行きました。

ネーウィン氏率いるブーリラムユナイテッドの登場

そして、特に注目すべきは、ブリーラム県の実力者で元副農相であるネーウィン・チットチョープ氏が、ムアントンユナイテッドに対抗する形で、PEAを買収して、本拠地をブリーラムに移転して組織したブーリラムユナイテッド(以下、ブーリラムU)です。


ブーリラムUは、タイ代表選手を多くを獲得、海外から有望なアフリカ人選手やスタッフを集めることによって、2011年はタイ国内3冠、2013年には4冠、そして、リーグ無敗優勝を飾るなどしました。

さらにブリーラムUは、Jリーグ王者である柏レイソル(日本)にホームで勝ち、アジアでも突出した資金と実力を誇る広州広大(中国)にアウェイで勝つなど、日本を含めそれまで明らかな格下扱いだったタイ国内クラブチームが、侮れないチームという印象を与えることになります。 

資金面、ハード面でも充実し、観客を呼べるリーグへ

そして、リーグやチームはメディアやスポンサーを巻き込んで観客を徐々に増やすことに成功し、もともとASEAN諸国の中でも比較的充実したスタジアムやその数を誇っていたハードの面でも、SCGスタジアムやLEO スタジアムなどの欧州を模倣したサッカー専用スタジアムが建設されました。

中でも、ブリーラムの本拠地ニューアイモバイルスタジアムは、日本人が観ても溜息が出るような立派なスタジアムです。

ブリーラムの本拠地 New i-mobile Stadium

実際には様々課題はあるものの、関係者の地道な努力と後先考えないタイ人の思い切った勘違いなどもあり、タイのサッカーは発展を遂げたことが、現在の日本人60人以上という世界でも例が無いような流入を生んだわけです。

事実、上記のBEC TEROサーサナが活躍した次の年には、最初の日本人プレーヤーが誕生しています。

次回は、タイリーグ黎明期を支えた日本人プレーヤーについて書きたいと思います。

本日のおまけ動画

今回の動画は、日本でも病みつきになる人が続出したブリーラムユナイテッドのチャントです。

ブリーラムユナイテッド・新チャント 2012年3月 (大音量注意!


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2014年7月12日土曜日

日本代表×北朝鮮・無観客試合(2005年)を観戦したタイ・サッカーとの関わり


私が駐在員として赴任した2005年当時、まだ日本人がプレーしているという情報は知りませんでした。

その2005年に、サッカーに関する日本人が忘れられないであろう事件が起こります。



2006年ドイツワールドカップアジア最終予選において、日本と同組の北朝鮮のホームで行われたイラン戦で、審判の判定に不満を持った北朝鮮の観客がピッチに物を投げ込み、イランの選手が乗ったバスを取り囲み脅迫するという暴挙に出たためFIFA(国際サッカー連盟)は、北朝鮮に対して罰金と北朝鮮国内での開催権を没収して、第3国(中立国)での無観客試合とする制裁を決めます。

その恩恵を受けたのは、当事者のイランではなく、次の対戦相手である日本でした。2005年6月8日に平壌で開かれる予定であった北朝鮮ホームの試合が第3国であるタイ・バンコク(スパチャラサイ国立競技場)で、無観客試合行うことになりました。

私が観戦した対北朝鮮・無観客試合@バンコク

何かと不安のある北朝鮮ではなくタイでの試合となった対北朝鮮戦で日本は勝利し、ワールドカップ本大会への出場を世界で一番早く決めることになりました。

実は、その無観客試合になんと私は、運良く取材する立場で観戦することが出来ました。


その無観客試合であるはずのスタジアムには北朝鮮政府関係者、数百人にも及ぶ日本を含む世界各国のメディア関係者および日系企業の駐在員や大使館関係者など2,000人近い観客がいたことはあまり知られていません。

この試合は、私がタイで最初にサッカーと関わった出来事でしたが、過去のオリンピック予選やW 杯を除けば1994年2月5日にACL(AFCチャンピオンズリーグ)の前身であるアジアクラブ選手権で、Jリーグからヴェルディ川崎が、当時アジア最強と言われたタイファーマーズバンク(現在のカシコーン銀行)FCと対戦して、1-1からP K戦で敗れています。(記録は引き分け)

※タイファーマーズバンクについては、いずれ記事で詳しく書きます。

黄金時代のヴェルディも敵わなかったタイのクラブチーム

実は、その後2回に渡って95年1月、95年12月にも、ヴェルディはタイファーマーズバンクFCと同選手権で同グループになり、直接対決では2-1、0-0という成績ながら得失点差で敗退するという事態に陥っているわけです。

その頃のヴェルディと言えば、カズ(三浦知良)やラモス瑠偉、北澤豪、柱谷哲二、武修宏を擁し、国内では最強の名をほしいままにしていたのですが、まだプロ化されていないタイ王者はそのヴェルディでさえ敵わないほどの強さだったというのは間違いないようです。

その後1999年には、同選手権で当時黄金時代を迎えていたジュビロ磐田が、Jのチームとしては初めて優勝しますが、同大会でBEC TEROサーサナはジュビロとは戦ってはおらず、タイのチームに大会を通して勝ったのは2000年でジュビロ磐田がチュラーシンタナFCをグループリーグで退けたのが初めてということになります。

つまり2000年までは結果だけを見るとタイのチームの方が上回っていたと言えるかもしれません。

以上、タイフットボールチャンネルによるサッカーコラム第4弾「私のタイでのサッカーとの関わり」でした。

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2014年7月9日水曜日

西紀寛選手所属のポリスユナイテッド観戦レポート 対ムアントンユナイテッド戦 (2014年・第22節)

バンコク在住の会社員によるタイ・プレミアリーグの観戦レポート第一弾です。

当コラムで初の観戦リポートは、タイプレミアリーグ(1部)13位のポリスユナイテッドと、首位を走るムアントンユナイテッドの試合(2014年7月6日、第22節)です。

ポリスユナイテッド(以下、ポリスU)は、1960年にタイ国家警察のチームを母体に創設されタイ・ディビジョン1リーグ 優勝3回、タイ・リーグカップ優勝3回、コーロイヤルカップ優勝、クイーンズカップでは準優勝2回という名門チームです。

現在の体制になったのは2009年、ホームのタマサートスタジアムはバンコクから車で50分の場所にあり、タマサート大学の広大な敷地の中にある近代的なスタジアムで、とても大学敷地内にあるものとは思えないほどです。
ポリスUの現在のメインスポンサーは大手保険会社のプロミス保険(Promise insurance)で、2010年からタイプレミアリーグに定着し、タイ代表でもあるキャプテンの9番でエースストライカーのスラチャート(Surachart)選手、10番のMF ポッカオ(Pokkhao)選手、若手でも成長著しい21番でアタッカーのピヨ(PIYO)選手、また今期からは、ジュビロ磐田や東京ヴェルディでプレーした西紀寛選手が加入し、シーズン当初は試合に出ていないようでしたが、6月14日のスパンブリー戦や28日のエアフォース戦では見事なゴールを決めています。

西紀寛選手については、Jリーグではジュビロに居た頃しか覚えていないのですが、ドリブルが得意な攻撃的MFというイメージで、タイのサッカーに慣れてくればさらに活躍してくれると思います。

ムアントンユナイテッドの写真も。

前半(西紀寛選手、シュート放つもゴールならず)

ゲームは前半、後半を通してお互い同じように前線にボールを出してゴールを狙う展開でしたが、ムアントンが12分、33分のチャンスをモノにして2点リード、この時にはこの後起こるトラブルの兆候はまだ見られなかった(ような気がします)

西紀寛選手は前半、主に右サイドから攻めあがって攻撃参加、下の画像はフリーでシュートを放ったものでGK正面で止められてしまいました。

 

後半(審判による不正判定で騒然)

後半開始早々、ポリスUのエースのスラチャートがゴールを決めて2-1となります。

西紀寛選手は前半とは異なり主にやや左サイドから仕掛ける動きになり攻撃参加しますが、得点には至らず74分には交替のためベンチへ、このあたりから様子がおかしくなって来ます。(あえて今回はどちらにということは書きませんが)審判のジャッジがどうも偏っているのです。

最初は「あれ?」という感じだったのですが、終了間際に立て続けに「今のどう見てもおかしいだろ!」と言いたくなるような判定が下されます。あたかも片方のチームに勝ってもらっては困るという意図的な判定です。

これにはスタジアム内も騒然となり、客席からは怒号が飛び始め、不利な判定をされた側のベンチからはここでは書けないような言葉が審判に向けて発せられ、ホームゴール裏からも激しいブーイングが起こる中、試合は終了しました。

タイではよくあることなのですがピッチには審判を守るため警官が並び今にも殴り掛かろうかという(チームのかなり偉い方であろう)人物を必死でなだめ、その恐ろしさに怯える審判を囲むようにサポーターから罵声を浴びせられながら控え室に戻って行きました。

タイサッカーの不正判定事情

実際に不正があったかどうかはわかりませんが、タイではこのようなことが頻繁に起こります。また不正が多いと言われた審判が銃撃を受けて重傷を負った事件も発生し、昨年のFAカップでは日本から招聘された吉田寿光が不正を持ち掛けられたり、チーム同士で勝ち負けを売り買いしているという事実もあるようです。

参照: サッカーのタイプレミアリーグ、審判員が撃たれ重傷(ニュースクリップ)

これらの問題はタイサッカーリーグにとって大きな課題であり、まだまだ日本に比べて遅れている部分は多いのは事実ですが、私はタイのチャンピオンはこのようにして作られているのでは無いと信じています。

西紀寛選手に関する動画

スパンブリ戦での西紀寛選手のゴール(22秒あたり)



エアフォース戦での西紀寛選手のゴール(34秒あたり)



COP TV 西選手にスポットを当てた動画

ポリスユナイテッドのチーム紹介 西選手も登場します。



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2014年7月4日金曜日

日本人サッカー選手たちが、タイのプロリーグでプレーする理由

バンコク在住の会社員によるサッカーコラム第二弾は、「なぜ、今タイなのか?」です。

日本人サッカー選手がタイのリーグで60人以上もプレーしていると聞くと、皆必ず驚きます。Jリーグではなくタイ?それは極めて当たり前な疑問でしょう。


日本人サッカー選手がタイのリーグでプレーしている理由はいろいろとあるのですが、まず現在Jリーガーになることが非常に困難であることが挙げられます。

多くの日本人サッカー選手がプロとしてまず目指すのは、当然Jリーグです。しかし、Jリーガーには簡単になれるものではなく、選手によってはJのどのチームにも入団できず、それでも夢を追ってどんなところでもいいからと海外に出る選手もいます。

中には、プロではなく練習生としてでも取り敢えずチームに入り、その後プロを目指すというものや、リーグのレベルは低くてもプロとしてのキャリアをスタートしたいと言うものです。その多くは高校や大学を卒業して海外に渡る選手です。

タイやシンガポールのサッカーリーグに注目が集まる

これまで、日本人選手が海外でプレーする国と言えば、プロサッカーがその国の歴史や文化に根付いた南米やヨーロッパといった国々が占めていたわけですが、近年経済発展著しく本格的なプロリーグが発展してきたシンガポールやタイが注目を集めて来ています。

特にタイは、サッカー人口がそれなりに多く、政治的な混乱や洪水などの不安がある中でも東南アジアでは比較的治安がよく、プロリーグが活性化しているため、多くの外国人選手が集まって来ています。
またタイは、東南アジアの中でも親日家が多いこと、在留日本人がタイ全土で5万人以上いるため、日本人に取って住みやすい環境が整っていることもあるでしょう。物価の安さも理由の一つに挙げられます。

なぜ、”今”タイなのか?

さらに、日本とタイのチーム間での業務提携により両国間のサッカー交流が進んでいることも挙げられます。特にここ数年、トヨタが協賛しているタイのリーグカップで、Jリーグのチームがタイのブリーラムで毎年のように試合をしているため、タイのサッカーが注目されていることも見逃せません。

2013年トヨタリーグカップ ブリラムユナイテッドvs名古屋グランパス

他にも、Jリーグや海外のリーグに在籍していた日本人選手が、セカンドキャリアとして移籍する場合や、ごく一部の選手ではありますが比較的高額な年俸が得られるケースもあります。また、Jのチームで試合に出られなかった選手が出場機会を求めてくるケースもあります。

つまり、ある程度の実力があれば試合に出られる。また実力があれば高い報酬が得られることもあるわけです。

しかし、中にはプロとは名ばかりで生活していくには困難な額で契約している選手がその多くをしめているのも事実です。そのような厳しい環境の中で結果を出して認められれば上のリーグにキャリアアップすることは可能で日々努力を続けています。

最後に、KJが取材協力したテレビ番組でのタイのサッカー特集の動画をご覧ください。




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